Gustave Moreau |
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Salomé and the femme fatale |
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ギュスターヴ・モロー |
展 |
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サロメと宿命の女たち |
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フランス象徴主義を代表する画家ギュスターヴ・モロー (1826-1898)。 本展は、パリのギュスターヴ・モロー美術館の所蔵作品より、女性をテーマにした作品を、一堂に集め、身近な女性から
ファム・ファタル (宿命の女) まで、多様な女性像を紹介し、新たな切り口でモローの芸術の魅力をご紹介します。 |
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'2019 4_5 「ギュスターヴ・モロー展」 プレス内覧会の会場内の風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
・画像をクリックすると 主催者とギュスターヴ・モロー美術館 事務長のご挨拶がご覧いただけます。 |
「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」 |
14 年ぶり! ギュスターヴ・モロー美術館の所蔵品から一挙公開!
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「ギュスターヴ・モロー展」 展覧会の概要
― 「ギュスターヴ・モロー展」 図録、PRESS RELEASE、チラシ他よりの抜粋文章です ― |
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【展覧会のみどころ】 |
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【展覧会構成】 |
'2019 4_5 「ギュスターヴ・モロー展」 プレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
第1章 モローが愛した女たち |
「素晴らしい母親」 アデル・ポーリーヌ・デムティエ (1802-1884) ポーリーヌは、ドゥエとボミの市長を歴任したアレクサンドル・デムティエの三女として生まれた。
ボミにあった父の居城で 1825 年、22 歳のポーリーヌは建築家、ルイ・モローと結婚した。 持参金には株式や土地が複数含まれた。 翌年、ギュスターヴが誕生し、楽器演奏をたしなんだ母は音楽への情熱を長男に伝えた。 |
右・cat.1 《24歳の自画像》 1850 年 油彩/カンヴァス 41 x 32 cm ギュスターヴ・モロー美術館蔵 /中・cat.12 《モローが母に宛てて書いたメモ》 直筆のメモ 鉛筆/紙 20 x 15 cm ギュスターヴ・モロー美術館蔵 /左・cat.5 《ポーリーヌ・モロー》 鉛筆/紙 13 x 11 cm ギュスターヴ・モロー美術館蔵 |
右・cat.1 《24歳の自画像》 モローは素描による自画像を多く残したが、本作は油彩による唯一のものである。 テオドール・シャセリオーが手がけたパリの会計検査院壁画に感銘を受けたことを契機に、ロマン主義へと傾倒していく。 この自画像が描かれたのは、まさにその頃である。 中・cat.12 《モローが母に宛てて書いたメモ》 モローは、生活の一切を取り仕切り、芸術面の良き理解者でもあった、母ポーリーヌが耳に不自由をきたし、絵の説明をするための、自ら文章をしたためた。 左・cat.5 《ポーリーヌ・モロー》 モローによる母の肖像画は、素描だけでも 40 点近いとされるが、本展出品作を見ても、髪を長く垂らし、初々しさの残る若かりし姿から、頭巾をかぶり眼鏡をかけた、老境にさしかかった姿まで、実に幅広い年月にわたって描かれ続けたことがわかる。 |
第2章 《出現》 とサロメ |
洗礼者ヨハネの首の幻影が現れるという稀有な発想、さまざまな時代や地域の建築・装飾様式を独自に取り入れた描写、膨大な習作やヴァリアントを伴う作画プロセスなど、多様な特徴と魅力をそなえたモローの代表作
《出現》 は、19 世紀末の芸術家たちに多大なインスピレーションを与えました。 |
右・cat.99 《サロメ》 油彩/カンヴァス 180 x 90 cm ギュスターヴ・モロー美術館蔵 /左・cat.86 《サロメのための油彩 下絵》 1880-90 年頃 油彩/厚紙 47 x 33 cm ギュスターヴ・モロー美術館蔵 |
右・cat.99 《ヘロデ王の前で踊るサロメ》 が出品された 1876 年のサロン以降、モローはこの人物像に魅了されたかのように、「洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ」 を主題とする作品を繰り返し描いた。 本作のサロメは画面中央に正面観で大きく描かれ、背景の空間は奥行きが無く、サロメの均整の取れた肢体は強調され、作品は歴史画というよりむしろ優艶な舞を踊るサロメの美しさを主題化したものである。 左・cat.86 ほとんど抽象画のような 《サロメ》 の油彩下絵。 |
第3章 宿命の女たち |
モローのカンヴァスを彩ったファム・ファタルのヴァリエーションを追っていくと、必ずしも男を誘惑し破滅に導く女という単一的な構図ではなく、より多元的で重層的な男女の相克のドラマが浮かび上がってくる。 神と人間、妖精や怪物などの異形のものたちが入り乱れ綾なすそれらのドラマの中に、画家自身の男女観ひては世界観の投影を垣間見ることもまた、モローの絵画世界を味わう醍醐味の一つではなかろうか。 「歴史画家」 を辞任していたモローは、神話や聖書など、人類の歴史が紡いできた物語に内包される普遍的なるものを、自らの想像力と感覚のフィルターを通して抽出し、造形化しようとした。 そうして生み出されたヴィジョンは多分に幻想的でありながら、人生のあらゆる経験を通して画家自身の内に蓄えられた現実世界の凝縮でもあった。 |
・cat.128 《エウロペの誘拐》 1868 年 油彩/カンヴァス 175 x 130 cm ギュスターヴ・モロー美術館蔵 |
・cat.128 《エウロペの誘拐》 古代ローマの詩人オウィディウスによる 『変身物語』 のなかの、ユピテルによるエウロペの誘拐の一場面を描いた作品。 オリュンポスの主神ユピテルが、フェニキアの王女エウロペに恋し、海岸で待女たちと遊んでいた彼女を、牡牛の姿になって近づき、さらってしまう。 エウロペはユピテルとの間に 3 人の子どもをもうける。 物語の描写に沿って忠実に再現した巨大な牡牛の頸は、1869 年のサロンにおいて 3 度目となる賞を獲得したものの、批評家からは酷評を受けることとなった。 |
第4章 《一角獣》 と純潔の乙女 |
悪に魅入られた背徳的な美女たちを世に送り出したモローの絵筆は、一方で汚れ亡き乙女を描くためにも捧げられた。 貞節の象徴とされ、純潔の乙女にだけは従順になれるという幻の動物一角獣を、モローは美しくたおやかな女性に抱かれた姿で描きました。 汚れ亡き女性のイメージは憧れの具現化であるとともに、その冒しがたい清らかさゆえに男性を惑わせ狂わせるものでもありました。 本章では、そうした女性像にひそむ抗いがたく残酷なまでの魅力を通じて、モローにとってのファム・ファタルのイメージ形成をあらためて問います。 |
左・cat.159 《妖精とグリフォン》 油彩/カンヴァス 124 x 94 cm ギュスターヴ・モロー美術館蔵 /右・cat.160 《妖精とグリフォン》 1876 年頃 水彩/紙 24 x 16.5 cm ギュスターヴ・モロー美術館蔵 |
・シュルレアリスムの詩人、アンドレ・ブルトンを虜にした油彩画 《妖精とグリフォン》、アンドレ・ブルトンは夜中にモロー美術館にランプを持って忍び込み、闇の中のグリフォンといる妖精の不意を襲う夢を見たという。 同主題で描かれた本展出品の未完成作 cat.159 《妖精とグリフォン》 ギリシャ神話に登場するグリフォンは、鷲の頭と翼、獅子の体を持つ怪物で、宝物を護ると信じられていた。 本作でグリフォンたちが護っているのは、険しい洞窟の中で無警戒に横たわる妖精である。 この汚れなき妖精の目撃者は、その美しさに強く魅了されたとしても、グリフォンたちに護られたその神聖な存在に触れることはできないだろう。 |
ギュスターヴ・モロー美術館 |
ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau (1826-1898) |
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・1826 年( 0歳) |
・4月6日、建築家ルイ・モローとボミー市長の娘ポーリーヌの長男としてパリに生まれる。 |
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ギュスターヴ・モローは、1826 年 4月 6日にパリのサン=ペール通りで生まれた。 父ルイ・モローはシャルル・ペルシエの弟子で建築家、旧姓デムティエの母ポーリーヌは家庭に情熱を傾け、優れた資産管理により、モローが生活の心配をすることなく暮らすことを可能にした。
翌 1827 年、妹カミーユが生まれたが、1840 年、13歳で世を去った。 以後両親の子どもに注ぐ愛情においてギュスターヴは無意識のうちに妹の分も受け持ち、ポーリーヌ・モローが書いた息子のプロフィールに、
8 歳の時からデッサンに夢中だったとある。 早期に表れた芸術的資質を両親は妨げず、父は息子の知性、精神、芸術に関する教育に心を配り、古典文学への手ほどきもした。
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パナソニック 汐留ミュージアム 公式HP:http://panasonic.co.jp/es/museum/ 公式フェイスブック https//www.facebook.com/shiodome.museum 主催:パナソニック 汐留ミュージアム、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社 後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、港区教育委員会 協賛:光村印刷 特別協力:ギュスターヴ・モロー美術館 協力:日本航空 |
参考資料:プレス説明会、「ギュスターヴ・モロー展」図録、PRESS RELEASE、チラシ他。 |
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